運営者のプロフィール

私は、会社員、フリーター、経営者、結婚や親にもなることも経験しましたが、正直、半生を振り返っても失敗だらけの人生だったと感じています。
常に新しいことにチャレンジして、生き残りの道を探し続けてきました。

以下、運が強く人に恵まれた事と目標達成への執念が強いこと以外は、特別な才能もない私の経歴を紹介します。

ブラック企業のテレアポ営業からスタートした社会人生活

今まで会社勤めをしていた頃の自分を一言で言えば、良くない会社員。
私ならば、多分、自分のような人間は雇わないと思います。

一番、キャリアを積むのに大切な新卒の会社選びから失敗しました(笑)

学生時代は勉強が大嫌いでしたが、本を読むのが好きな理由だけで、大谷女子大学(今は大阪大谷大学)文学部国文科を卒業。

就職氷河期の就職活動では、20社以上の会社の採用試験に落ち、今で言うブラック企業に新卒で入社。
入社した同期の半数が研修中に退職する姿を見つつ、特技が何も無いので他に行く場所もなく、新規のテレアポ営業に挑戦することに。

電話帳のリストを渡され1日100件以上の企業に電話をかけ倒しました。
ほとんどの会社では電話を叩き切られましたが、数ヶ月で新規営業のコツをつかみ、課内で一番の成績を上げることができました。(キャッチセールスに近いので、あまり自慢できることでは無いですが)

毎日、上司が机を蹴り怒声が飛び交う品のない職場でした。ここでは数字につめられる環境でも図太く仕事ができるメンタルが身につきました。

現在、新規営業が平気、何でもやって仕事を取ろうとするのは、この時の経験がベースになっていると思います。
 

ブラック企業に勤務したイメージ画像

資格取得でブラック企業から一部上場企業へ転職

長く居てもキャリアが積める環境ではなかったので、2年目から危機感を持ち転職を考え始めました。

建築業界に関わっていたことから、手っ取り早く転職できそうな資格に狙いを定め取得
一部上場企業のメーカーの正社員になり、ブラックな職場環境から抜け出し家族を安心させました。

このショールームでは、今でも家族のように思えるほど信頼する同僚、先輩に恵まれ、私の会社勤めの中で最も楽しい時期でした。
この穏やかな環境のおかげで、ブラック営業のしたたかキャラから、一転して真面目で好感度が高い?アドバイザーに生まれ変わりました。
お客様からは、うちの弟の嫁にとスカウトされた経験もありました。

しかし、多くの商品を提案して売っていましたが、会社からの評価は最後まで冴えないままでした。
所長からは、能力はあるが評価は低めの点しかつけられないタイプ。自分の好きな商品ばかりを売り、会社への忠誠心がないと言われた事もありました。
建築関係の仕事をもっとやりたかった私は、ここで人生初の副業をスタートさせました。

退職後は、リフォーム会社や設計事務所をアルバイトで転々としました。

最初に入った設計事務所では2週間で首になる

最初に潜りこんだ設計事務所では、図面を描く適性がないと2週間で首になる名誉な経験もしました。

それでも「捨てる神あれば、拾う神もあり」とめげずに、首を宣告された午後にさっさと荷物をまとめて会社を去り、その足でハローワークへ行きました。
結局、次の求人に応募すると、前職と同様に条件が悪く人手不足の事務所という事もあり、直ぐに採用されました。

40代を過ぎると職がなく採用試験に通らないと嘆く人も多いですが、私の感覚では、職が見つかるまで年齢の数以上、本気で探してから愚痴るべきだと思います。

私の場合は20代の若い頃でさえも、アルバイト先の設計事務所を首になった経験は、他にも何度もありました。
職は無ければ見つかるまで探す収入だけを目的にするならば仕事は何でもやるというスタンスでいれば、道は開けると思っていました。

ただ、勤務先の小さい設計事務所やリフォーム会社のほとんどが、経営は楽ではありませんでした。
特に個人の設計事務所は、収益が上げにくいし、好きな仕事でも生涯賃金が少ない貧乏な仕事は嫌だと強く感じました。

フリーターで人脈コネなしから営業して仕事を取りに行く

アルバイトと掛け持ちで、仕事を依頼されるまま、安易に計画性なくフリーターに近い形で独立。
この頃は、未経験でも仕事は何でも受けて、周囲の力を借りながら働いていました。

基本的に受注したいと思った仕事は、あの手この手と営業をかけて取りに行きました。
店先で追い返されても、店の売上UPの改善点をまとめた提案書を置いて帰り、そのレポートを読んだ経営者が、出来に感心して店舗デザインの仕事がきた事もありました。

ブラック企業とショールームで培った営業力のおかげで、実力以上の仕事を得ていましたが、技術の下積みが不十分な自分の能力に常に限界を感じ悩む毎日でした。

昔から専門性の高い技術者に強く憧れ、自分もそうなりたいと働きながら勉強を続け、二級建築士、一級建築士を取得しました。

ちなみに一級建築士の図面試験は、直前の模試でも合格予測はE判定、誰も私が合格できるとは思っていませんでした。
当日、運よくイレギュラーな課題が出題されて、本来、実力がある人が力を発揮できずに崩れていく中、一発勝負に強い私にはチャンスでした。
途中で設計ミスに気が付きつつも誤魔化し、強引に完成させて図面に一発合格しました。

失敗も多々ありましたが、良いお客様やサポートしてくれた協力者達のおかげで、貴重な現場の経験を幅広く積むチャンスを得られたのは幸運でした。

私がデザイン設計した店舗の仕事

安易に法人化するが、海外で見事に失敗、会社員へ戻る

しかし、のせられるまま安易に会社を作り、海外でも事業を立ち上げ見事に失敗、お金も全部無くなり、借金だけが残りました。

その後、急場のお金が欲しかったので、会社勤めに戻り給料をひたすら溜めて、時々副業もして借金を一年で返済しました。

要領よく、数社の正社員の転職を成功させましたが、最後に勤めた会社で転職しようとした矢先に鬱を発症。さすがに今までの自分の仕事への取り組み方も反省しました。

子供のために安定した職という理由をつけて、条件の良い立場を中々捨てきれなかったのですが、私の本心は独立したかったのかもしれません。

今まで何度も転落人生になっても不思議はなかったのですが、強運と周囲のおかげで、何とか無事に生きてこれました。
浮き沈みが激しい人生ですが、今まで、ご縁あった人達には本当に感謝しています。

sううkうくう

自分ペースでやりたい仕事だけをする毎日

現在は、在宅勤務と副業100%OKの会社に所属はしていますが、ほぼ個人事業主として自分のペースで働いています。

体調管理のために、1日7時間の睡眠は必ず確保、5時間以上は猛烈に働かないことをモットーに、自分がやりたい仕事だけをしています。
それでも、日によって体調の悪い日もあるし、以前のように一つのことを継続する気力も体力もありません。

しかし、同時に2つ以上の仕事に全力投球できなくても、優秀な外注さんと仕事ができる体制を整えつつあります。

コロナという事もあり、引きこもりの気味の生活ですが、自宅で本当にやりたい理想の仕事の実現に向けて努力を続けています。

「自分の限界は自分が決める」の言葉通り、自分を信じられる限りは、自分が一番自分を裏切らないと思っています。
自分の能力は未知数で、やるべき努力を地道に続ければ願いは叶えられると信じています。

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